足立美術館へ行くのにシャトルバスが便利なのですが、そのシャトルバスが発着しているのが最寄り駅のJR安来駅です。
なんて読むのか最初分かりませんでしたが、「やすぎ」と読むことを知り、もしかして「やすぎ節」ってここなの?と思ったらここだった。これ見りゃあ一発で理解できますわね。
若い人は知らないかもなぁ、安来節。かくいう私も志村けんやダチョウ倶楽部上島ぐらいしか知らないんだけどね。どじょうすくいって言い方の方が有名かもしれませんね。
そういえばめちゃイケでもやってたわ。
何故これが有名になったのかその経緯を全く知らなかったのですが、その一端に
着物の裾をまくり、赤い腰巻が見えるお色気
があったことに驚きを禁じ得ない。
ちなみに駅前にはこんな像も。
すくい愛!
駅の階段を撮ったときには気が付かなかったのですが、上の看板にちゃんと「安来節とハガネの町へ」って書いてありました。ってハガネ?
安来鋼(ヤスキハガネ)は、旧雲伯国境地域(現・島根県/鳥取県県境)における直接製鋼法で出来た鋼の総称。
安来市のWikiの方が詳しく書かれております。たたら場とかもののけ姫を思い出すわぁと思ったら思いっきりここら辺がモデルだったのね。そういえばここ出雲が近かったわ。
あと駅のお土産屋に何故か山中鹿之助が居て驚きました。なんで?
幸盛の前半生は、確実な史料が残っておらず不明な点が多い。通説によれば、天文14年8月15日(1545年9月20日)に出雲国富田庄(現在の島根県安来市(旧能義郡広瀬町))に生まれたとされる(詳しくは#出自の謎を参照。)。
安来出身だったのか。尼子の本拠地である月山富田城も安来だし、こりゃあ鹿ちゃんは安来市のものだね。しかし主君以上に人気モノってどうなんだろう。そもそも何故彼って人気なの?
衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続け、その有り様が後人の琴線に触れ、講談などによる潤色の素地となった。特に江戸時代には忠義の武将としての側面が描かれ、悲運の英雄としての「山中鹿之助」が創られていく。これが世に広く知られ、武士道を精神的な支柱とした明治以降の国民教育の題材として、月に七難八苦を祈った話が教科書に採用された。
なるほど、楠木正成の弟とか万里小路藤房と同じカテゴリーで扱われていたんですね。
安来駅で特急を待ってる間、歩いてすぐ中海に付くと知り散歩がてら探索いたしました。
って中海って湖じゃなくて海なの?もう雰囲気が海なんだけど。
中海(なかうみ、なかのうみ)は、島根県松江市・安来市と鳥取県境港市・米子市にまたがる湖。
湖だった。
海水の約1/2の平均塩分濃度を持った汽水湖であり、ヤマトシジミなどが生息し、海水魚、淡水魚とも同じ場所に生息している。
半分海なのか。
内陸港湾として、安来港や米子港がある。このほか沿岸には崎津漁港や馬渡漁港などの港湾施設がある。
内陸港湾!面白いなぁ。海なし県の栃木県民には全く縁のないものなのでこういう大好物です。
停泊している船を見たら砂利を積んでました。
溜まっていく砂利をすくい上げてるようです。維持するのも大変なんですね。
安来駅のお土産屋で購入したのはどじょう掬いまんじゅうと、
島根のキャラクターだと思われるしまねっこのキーホルダーです。
かわいくない?調べたら結構前から活動していたようでして、このYoutubeの動画、12年前なんだぜ。
ゆるキャラグランプリでも上位にランクインしてますね。私が知らなかっただけで人気モノだったようです。
縁もゆかりもない土地に行き、とりあえずテキトーにアンテナに引っ掛かったものをストックし、後日調べて新しい知識を得る、そんな何の意味も無い行為が大好きであることを実感いたしました。
出来ればもう一度行っておきたいな、安来。そして次は絶対に和銅博物館に行く!