ニンテンドースイッチのゲーム「Celeste(セレステ)」をクリアしましたが、この体験を一言でいうと修行だと思いました実感しました体感しました解脱しました嘘です。
私のようなアクションゲーム苦手なおっさんでもクリアは出来ました。
つまり難易度はそれほどでもないのか?違います。鬼です、鬼のような難易度です。鬼畜の所業です。
何回も何回も何回もミスをして死ぬうちにイライラから乾いた笑いになり、そのうち感情さえなくなっていきます。そしてクリアできると、「こんなとこクリアできた俺天才じゃね?」と脳から汁がどばーっと出てきます。そして次の難所も行ける気がしてくるんです。そんなことはなくまた何回も何回も何回もミスをして死ぬのですが。
これをずーっと繰り返すんです。私はやりこんで4日でクリアしましたが、もはや修行でした。主人公が「この山を登り切ったら何かが変わりそうなの」みたいなこと言いますが、私もクリアした後何かが見えてくるんじゃないかと思いながら死んでました。
鬼のような難易度なのに、クリアするまで続けることが出来た要因は、
・リトライの素早さ
・小刻みな中間ポイント
・鬼のような難易度だけどそのうちクリアできそうな気がする絶妙なバランス
・それによるクリア後の脳汁
だと思います。
ゲームをプレイしててここまで小刻みに何十回も脳汁が出たことありません。
終盤は間違いなく1個1個クリアするたびに汁が出まくってました。軽い興奮状態。なのにまた感情が死んでいく、そしてクリアして汁が出て快楽を得る。
そう、これ正しく修行じゃないですか。
新興宗教だとここで終わらせて信者化させる、そんなレベルの快楽ですよこれ。
ちなみに禅宗ではその状態は脳によるまやかしだと教え、その先へ、脳の支配からの解脱を目指すのですがそれはまた別のお話。
とにかくセレステは苦労してクリアして快楽を得る。
その快楽を得るためにまた山を登っていく。
正しく修行です。
ゲームを評価する人達はクリアしてから記事を書いたり採点をしたりすると思うんです。
クリアした前と後で、そりゃあ評価が変わりますよね。だって修行中と修行達成後じゃ見える世界が違うもの。
私もその修行を終えました。スタックは以下の通りです。
2,263回死にました。
何回も諦めましたが、脳から出る汁の快楽が忘れられず、気が付くとプレイしてました。そして4日目。月曜日に日付が変わった深夜にクリすることが出来ました。セレステマウンテンの登頂に成功いたしました。
アクションゲームは苦手だと思ってた私がクリアできたのです。クリアした先に、山を登り切った先に何かが見えるのかと思ったのですが、最初に出てきた感情は「終わってしまった」なんだからたちが悪い。
なんてことはない、脳汁が出るための装置が潰えてしまった喪失感しかありませんでした。
これじゃただの中毒者じゃん。
クリアした後の評価も書かないといけない気がしたので書いておきます。
私のクリア前の評価と比べるのも面白いかもしれませんね。
・良い点
ゲームで修業が出来る
・悪い点
だたの中毒者になるだけだった
・評価
10/10