鹿沼の隅っちょから

鹿沼の隅っちょから

「鹿沼」でググった時に1ページ目に表示される事を目指していたのに鹿沼の事全然書いてません

有給休暇を使いましょう、俺

何故私は平気で長期休暇が取れないのか。

これを読んでその原因を知ろうと思いました。

toyokeizai.net

私も有給休暇を毎年20日貰ってます。そして20日のストックがあります。

しかし、毎年20日間さえ使い切ったことがありません。昨年は入院して8日間も消費したのに。

>日本の全業種での取得率平均は49.4%で、年間10日弱しか有休を取っていないことになる

昨年を除くと、今まで体調を崩したりした時しか使ってないので、私は年間平均5日ぐらいかもしれませんね。

 

>ドイツでは「自分の人生は自分で構築する」という「自己決定」の人生観が広がったとみられる。

>これは同時に他者の自己決定を尊重すべきということだ。

>そうなると、全人生のなかで仕事はあくまでも一部分であり、人生のために「健康」や「生活の質」という考え方も生まれ、「労働=自分の時間の切り売り」に対して自由時間という概念も際立ってくる。

 

>日本社会では、自我のあり方が異なる。自己決定は苦手で、しがらみの中で「正しい道」を探し出す発想が強い。

>それは「空気を読む」といったものにつながり、ひいては休暇の取りにくさの背景になっているのではないか。

>そして「仕事も人生の一部」という相対化の発想が少ない。

 

私も歳を取り体力が衰え同僚が死に健康面で不安が生じてきてやっと気が付きました。

仕事に軸足を置きすぎていたことを。

 

「仕事だから仕方がない」という言葉を何回、発しているだろうか? 

>この言葉に対して家族や友人も「仕方ないね」と受け止めることも多いはずだ

 

なぜ私は仕事第一優先主義者になったのだろうか。こんなに仕事が嫌いなのに。楽をしたいと思いながら生きてきたのに。やってることは人生全部仕事に捧げてる。

 

>ただ、かつて「しがらみ」には、先輩・上司の親心や温情といった制度化できない「あたたかさ」が働くことも多かった。

>そのため残業時でも小さな休息があり、意外に職場は安心感のある「共同体」だった。

>これが長時間労働が現在のように社会問題化してこなかったひとつの理由ではないか。

>ところが経済環境の悪化により、この「あたたかさ」は機能しにくくなってきている。

 

そうだ、そうだった。お世話になった先輩や気の合う同僚、さらには行くとお茶を出し世間話をしてくれた取引先、なんだかんだそこに「あたたかさ」を感じる部分があったんだった。この人に言われたら仕方ないよなぁ、みたいな。「仕事だから仕方がない」んじゃなくて、「先輩同僚から頼まれたから仕方がない」んだったわ。

工場でも残業は特別で、毎回夜のおやつが支給されたりしていたそうだ。

今、当たり前どころか前提で動いてるからな。予算に残業代を計上している段階で異常なんだよな。しかもそれに対して違和感を覚えない時点で異常なんだわ俺ら。

 

今年は無理にでも有休を20日間使い切ってみたいと思います。それによって何が変わるのか?良い方向に変わるのか、悪い方向に変わるのか。

昭和の頃と違い、今は会社が一生面倒を見てくれません。それでも会社に尽くすのですか?と自分自身に言い聞かせております。私のこの昭和の洗脳は、なかなか解けてくれません。