夢が叶った人にその叶い方を聞いたところで、それは意味があるのかいつも疑問に思ってます。
その時の彼(先生)の顔はよく覚えている。親も先生も、子供の将来が心配で、子供も事を思って「夢を諦めろ」と言うんです。それが子供の伸びしろを潰している事に気がついていない。
— 渡邊崇📫 (@WatanabeTakashi) 2018年4月15日
つまり、何にもわかっちゃいないんです。
適切な努力をすればなりたい自分になれる。
これは間違いないです。
その「適切な努力」こそが才能だと私は思うのですが、どうでしょうか。
私は中一の夏、英語の点数が全く取れなかったため必死に勉強しました、筆記体の練習を。
お陰で英語の点数が上がることは一回もありませんでした。
そして筆記体を使う機会はいまだにありません。
「無駄な努力」の典型ですね。
どうも私は勉強する才能が無かったようです。
夢や目標があって、その為にすべき努力が見える人は、それ才能じゃないですか?
そもそも私はその夢や目標さえ無かったし見えなかったのですが。
漠然とお金があれば楽な生活が出来ると思っていましたが、お金持ちになるためにしなければならないことが見えませんでした。
なんとなく勉強が出来ないといけない気がしてましたが、その勉強は全くできませんでした。
子供に将来何になりたいか聞きました。
「えーと、Youtuberとぉ、」
俺、どうやってYoutuberになれるのか知らないわ。
作曲家や金持ちになるための方法も、どうすればいいのか全く見えないわ。
夢が叶った人以上に、叶わなかった人の方が圧倒的に多いんです。
叶わなかった人はどうなるのでしょうか。
大人は知ってますよね、見てますよね。
いい歳こいてアイドルだの歌手だの芸人だの高収入者との結婚だのを目指している人を、そしてそれは殆ど叶わないってことを、叶わなかった人に残るのはなんなのかを。
そしてそれでも人生は続いていくことを。
それを知ったうえで、無責任に「夢は叶う」なんて言えますか?
言えるのは、適切な努力が出来た才能の持ち主でなおかつ運が良かった成功者だけなんです。
そしてその方々は圧倒的に少ないんです。
もう一度夢が叶った人の発言を見てみましょう。
その時の彼(先生)の顔はよく覚えている。親も先生も、子供の将来が心配で、子供も事を思って「夢を諦めろ」と言うんです。それが子供の伸びしろを潰している事に気がついていない。
— 渡邊崇📫 (@WatanabeTakashi) 2018年4月15日
つまり、何にもわかっちゃいないんです。
適切な努力をすればなりたい自分になれる。
これは間違いないです。
彼も書いてますね、「子供の将来が心配で」「子供の事を思って」って。
その時の彼(先生)は何も間違っていないと思います。
そして「適切な努力をすればなりたい自分になれる、これは間違いないです。」と断定。
つまり、何もわかっちゃいないのは、ほんの一握りの成功者になれた彼の方です。
彼の言ってることで不足しているのは、「運の良さ」と「競争」です。
この「競争」をなぜ教えないのでしょうか。
夢を持って適切な努力をしたもの達が、戦って勝ち上がってきたものが成功者ですよ。
他人を蹴落とさないと、それは手に入れられないんです。
私が思う、夢が叶うためのものは、
「夢」「適切な努力の方法がわかる才能」「他人を蹴落とす覚悟」「運」「健康」
だと思います。
どうでしょうか、叶わなかったというかそもそも夢を持ちえなかった私が言うもの烏滸がましいのですが、強ち間違ってないと思ってます。
ちなみに私はこの五つ、人生振り返るに全部持ってませんでした。
あ、なんか悲しい気持ちになってきた。