鉄道ネタとしていつも楽しみにしておりますITメディアでの杉山さんの連載記事ですが、今回のネタは鉄道絡みではあるものの、世の中の本質を突いた素晴らしい記事だと感じました。
「非実在青少年」という言葉がある。創作物に登場する未成年に対して性的表現がある作品を規制するか否か……だ。
この非実在青少年問題ですが、こちらの記事がうまくまとまってますので、知らない方は是非読んでみてください。
若い人は知らないでしょうが、つい最近まで漫画は世間一般から忌み嫌われた存在でした。そしてアニメも言わずもがな。さらに言えば、いまだに忌み嫌っている人達が多く存在していることも念頭に置いていた方がいいでしょう。
だからこそ、この存在を潰そうとする人達がこのようなよく分からない「非実在青少年」なる単語を生み出したんです。
どこかの誰かが主観で判断して、見た目が未成年っぽいグラフィック&未成年っぽい声の場合、アウトとなる、ということです。どのような基準で決めるかというと「見た目」であって、年齢などの明確な基準はなく、もうめちゃくちゃです。
そして、「びゅうプラザ終了」に対して異議を唱える人達に、杉山さんは昔連想した「非実在高齢者」を思い出したんです。
JR東日本の「びゅうプラザ終了」の報道で「非実在高齢者」が現れた。JR東日本は2022年3月までに事業エリア内全51店舗の「びゅうプラザ」を終了する。「駅の窓口がなくなったら、窓口を利用していたお年寄りが困るではないか」「何でもインターネット販売にして、ネットに不慣れな中高年が困るではないか」という論調だ。「JR東日本は中高年を切り捨てる」と言わんばかりの勢いだ。あるコラムで「びゅうプラザは中高年の憩いの場だった」という意見があった。冗談にもほどがある。病院の待合室か。
いやいや病院の待合室も本来は中高年の憩いの場じゃないだろ!とツッコミを入れつつ、杉山さん、相当頭に来てることがうかがい知れます。
そして、こういったあらゆる問題の核心に触れます。
注意深く聞くと、ほとんどの論調は「私は困らないけれど、年寄りや中高年は困るはずだ」である。インターネットに不慣れで、窓口に行かないと旅行の手配もできない。そんな老人、中高年像を作り上げて批判する。マッチポンプである。
いわゆる不謹慎厨もこれに該当します。
不謹慎厨とは (フキンシンチュウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
不謹慎厨とは、なんらかの悲劇が起きた時、全くの無関係のものまで道徳や被害者感情を害するとすると非難し、自粛を求める人である。
当事者でも関係者でも何でもない人が上っ面の情報だけで勝手に想像して批判する、質の悪い人達です。さらに彼らは正義感に駆られてやってたりするから本当に質が悪い。
「びゅうプラザ」が終了して困るだろう人達への救済策は勿論取ってるし、そもそも
報道では突然終わるように感じたかもしれないけれど、すでに約130店のびゅうプラザが消え、大きな混乱は報じられていない。
とっくに縮小しまくっていて、誰も困ったなんて報道をしてないのに、そろそろ終了の目途が立ちました、って報道に対して偉そうに「困ってる高齢者がいるはずだ」なんてほざいてる輩が湧いてきたことに、おそらく杉山さんは憤りを感じてるのでしょう。勝手に困ってるだろう「非実在高齢者」を作り上げてまで誰かを叩くその性根、腐ってますね。
こいつとか。
アサ芸Bizの小林洋三の記事です。おそらくこの記事を見て憤慨したのでしょう。
最後に、この一文が私の胸を熱くしました。
新しい技術が登場し、古い技術と交代するとき「それで困る人がいる」と声を上げる人がいる。しかし、その声を真に受ける前に、本当に困る人がいるか検証すべきだ。たいていは余計なお世話で、実際に困る人はいない。「非実在青少年」「非存在高齢者」だけではない。「非実在労働者」「非実在主婦」「非実在教師」「非実在学生」「非実在性的マイノリティー」……どれも「大きなお世話な人」の空想が作り出した幻影だ。多勢を笠に着て声高に主張する「みんながこう言っている」の「みんな」と同じだ。みんなとは誰だ。そこに私もいるのか。勘弁してほしい。
本当に勘弁してほしい。
ちなみに。
北斗星がそろそろ引退するだろうと思われていたある日、ふらっと家族でびゅうプラザを訪れ、どのぐらいの金額で乗車できるのか聞きに行ったことがございます。
気が付いたら3連休を利用してホテル代込みの函館までのチケットを購入してました。普通に自分でやりくりするよりもとんでもなく安い金額を提示されてしまった為、思わず買っちゃったんだよなぁ。大人2名子供1名で北斗星レンタカーホテル特急新幹線全部丸々10万円ちょっとで済んだからね。びゅうプラザ様様でした。
私が利用したのは後にも先にもこの一回だけとなりました。宇都宮駅のびゅうプラザは6月いっぱいで閉店したそうです。