今私がそこはかとなく感じている恐れというか不安が、こうやって名前があって形があるのかと驚いております。
あ、なんか名前がかっこ悪いからミドルエイジクライシスにしようぜ、ほら、なんかかっこいいじゃん、「俺、ミドクラなんだわ」みたいな。
>中年期特有の心理的危機、また中高年が陥る鬱病や不安障害のことをいう
鬱病とハッキリ言われると否定したいけど、不安障害と言われると近からず遠からず、みたいな。
私自身も漠然とぼんやりとはっきりしないこのモヤモヤが、たまにすっと入り込んでくるんです、主に暇なときに、余裕があるときに、何もすることが無いときに。
その要因として3つ挙げられておりますが、私に照らし合わせてみました。
・加齢による変化
若い頃は筋肉や他の部分でカバー出来ていた患部が、その衰えとともに出てきております、出まくりやがっております。
また、生え際が後退し、全体的に薄くなり、白髪も目立つようになりました。
その痛みや視覚的老いが「お前は若くない」と物理的に見せつけてきます、私の心を抉り取っていきます。
・家族ライフスタイルの変化
子供が成長したことにより、常に休日は子供と出かけていた状態から、子供のスケジュールや意見を確認したのち行動するようになり、それが私の中でとんでもなく寂しい気持ちにさせております。
それまで楽しいとも思ってなかったのに。
転じて、それが当たり前だった訳でして。
成長の証であり、寧ろいつまでも親と一緒に行動する方が問題なのですが、この寂しさは結構しんどいです。
・職場での変化
同僚の不慮の死により人生というか生き方を考え直しました。
優先順位を間違えていた自分に気が付きました。
なぜ今まで仕事を最優先事項にしていたのか、考えても出てこない自分に笑ってしまいました。
何も考えず、そこに思想もこだわりもなく、自分や家族を後回しにして仕事を優先していたことに気が付いた瞬間、自分の仕事ではないことまで気を配って準備して決断して実行して、そのプレッシャーに胃を痛めながら、ミスを詰られながら、なんて自分は馬鹿だったのだろうかと分かりました。
なぜ自分を痛めつけてまで仕事をしていたのだろうか。
それから仕事に対するスタンスを変えました、私の中では相当な変化です。
そして、その心理的葛藤から様々な感情や行動の例がありましたが、私に当てはまるのはここらへんかな。
・自己の限界の自覚
・達成することの出来なかった物事への深い失望と後悔
・一人になりたい
・自身の経済的状況や社会的ステータス、健康状態に対する憂鬱、不安や怒り
私個人の状況としては、
身体的な衰え
子供の成長
同僚の死
が同時に発生したというか認識し、仕事量をセーブしたことによる時間的精神的余裕のその隙間に、もやもやした不安が忍び込んでくる感覚です。
仕事に追われていたり何かに夢中になっているとこのもやもやは認知できません。
この記事を読んで私も考えてみました。
そして、このもやもやの一番苦しい要因が分かりました。
>それでいて人生は終わらないし終えることもできない
自殺願望のある人に言うじゃないですか、「死ぬ気になれば何でもできる」とか「何も死ななくてもいいじゃない」とか。
何かズレてると思っていたのですが、どうもこういった発言をする人は、「死」が一番最悪な位置にある幸せな人なんだなぁって思います。
自殺願望の人がよく言ってるじゃん、「死んで楽になりたい」って。
死にたいわけじゃない、楽になりたいんですよ、この苦労から苦痛から解放されたいんですよ。
あなたが思ってる一番下の「死」よりも現状が下なんですよ。
そして私は、妻も子も両親もいる。
私は今がどんなに苦痛でも辛くても逃げることはできません。
今辛くなくても、いずれ辛くなることは目に見えていますが、逃げることが出来ません。
この「逃げることが出来ない」状況が、このもやもやを肥大化させていると思います。
そして結論として、それを抱えたまま生きていくしかない、と。
せめて、楽しい事を見つけては没頭して、それを忘れられる時間を増やすことだと。
以上を踏まえ、私はさらにゲームを買いまくってやりまくることをここに宣言します!
ってそんなオチかよ。